院長からひとこと

母を看取りました


 昨年12月に自宅で母を看取りました。行年84歳でした。
 
 慢性疾患があり手術などの積極的な治療ができない場合、入院しても結局は終末期の症状緩和のみをお願いするということになります。

 さまざまな葛藤がありましたが、本人が入院を望まなかったこともあり、住み慣れた自宅離れで家族とスタッフの手厚い看護を受けて眠るように最後を迎えました。

 18年前に父が亡くなったときには、まだ私の活動拠点が海外であったこともあり、終末期であっても入院という選択をせざるを得ない状況でした。

 もちろん入院先では主治医の先生をはじめスタッフの皆さんに大変お世話になったのですが、医師である父にも本当のところを伝えることができないまま逝かせてしまいました。

 病室という空間は、プライバシーの保てる場所ではなく、家族だけで静かな時間の流れを共有するというわけにもいかなかったので、あとで悔いが残らなかったといえば嘘になります。

 父の代わりに診療を行っていましたので、いつも一緒にいるということもできませんでしたし、日々の看護に付き添っていた母、それを支えていた私の連れ合いが心身ともに疲れ果てていたことを思い出します。

 ですから、母の病状が進んで、ある程度の経過が予測できるようになった時に最初に考えたのは誰もが疲弊しない看護を目指すことでした。

 よく患者さんの家族が看護に疲れ切って 「どこでもいいから入院先を探してください」 と言われますが、このような精神状態に陥るのはひとえに一部の家族に看護の負担が集中して疲弊してしまうからだと思います。

 大事な家族をできることなら自宅で看取りたいと考えても、疲れがたまってしまうと人間は弱いものです。

 幸い私の医院のスタッフは日ごろからよく母と接する機会があったため、交代での看護を引き受けてくれました。
 
 また、管理栄養士と調理師の免許をもった以前の職員さんが母の希望をくみ、母が食べられそうな食材を調理して栄養面の管理をしてくれたことも大きな助けでした。

 環境が変わらず、家族や親しいスタッフに囲まれていたためか、母の精神状態は最後まで安定しており、病状が進んで自分では体を動かすことができなくなってからも会話を楽しみ穏やかな生活をおくっておりました。

 最後まで十分に栄養をとり、食後には果物やアイスクリームをおいしそうに食べておりました。

 わたくしたち家族も、通常の社会活動をつづけながら日々の看護にあたることができました。

 母の人生は、病を得ても入院という形でそれまでの生活環境から切り離されることなく完結いたしました。

 このような選択が可能であったのは、わたくしが医師であること、そして看護スタッフをはじめ多くの皆さんが母の最期の日々を支えてくれたおかげだと思います。

 入院により住み慣れた場所を離れたくないという母の希望を叶えることができ、最後まで自由な環境で自分らしく生きた母を思うときに、父のときにできなかった分も親孝行できたかもしれないと今考えています。

2013年02月27日 18:04


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