院長からひとこと

がん診療医師 緩和ケア研修会に参加して

 8月の2日と9日に太田西ノ内病院(がん診療連携拠点病院)主催の「平成21年度がん診療医師 緩和ケア研修会」に参加しました。
 
 参加する前に、以前10年ほど住んでいた米国で在宅ホスピスのボランティアを経験した連れ合いから「これまでの人生のすべてをかけて自己の存在というものに根底から向き合うことになり、かなりヘビーな研修になるであろう」ことを予言されましたが、まさにその通りでした。
 
 そしてヘビーではありましたが、ひとりの医師として実に有意義な研修(というより体験)でした。

 緩和ケアと一言でいっても、単に末期がんの患者さんの痛みを和らげるというものではなく、その過程で医師として、ひとりの人間として、今まさに燃え尽きようとしている生命と向き合うのです。

 真摯に、その患者さんの生命・人格に向き合うためには、そこに存在する医師としての自分が、同時に患者さんの前に偽りのない人間として存在しなければならない。

 このような場面には、これまで大学の医局勤務時代、そして現在の地域医療の現場で何回も遭遇してはいましたが、今回の研修中、その時々のことが脳裏に鮮やかによみがえり、私を最後まで信頼していてくれた患者さんのひとりひとりの最後の様子が思い出され、先に逝ってしまったそのひとりひとりの患者さんに教えられた多くのことを思い、非常に密度の濃い時間を体験したと思います。

 医師としていつも考えていることは、私を信頼して通院してこられる患者さんたちに対し、その信頼にこたえ、そのひとりひとりの患者さんとの縁を大切にしていきたいということです。そして、なによりもその患者さん方の人生に幸多かれと心から祈ることです。

 こんなことを言えば、多くの人は決して本当のこととはとらないと思いますし、私自身、かつて若いころ、このようなことを意識したことはあまりありませんでした。50代の後半に至った自分が毎日の診療を、このような気持ちで開始しているだろうなどとは想像さえしていませんでした。
 
 医師として、患者さんたちに確かな医療を提供しさえすればよいと考えていたのです。
 的確な診断により、適切な治療を行い、病気というものを治しさえすればよいと思っていたのです。

 ですから、がんの早期発見の時には、その患者さんの生命が救われることを思って喜び、反対に、かなり進行した状態で来院してこられた新患の患者さんには「どうしてもっと早く来なかったのか」という悔しさと何もできない怒りのようなものを感じたものです。

 そのような日々の多くの体験から、私の中にある考えが生まれはじめました。

 患者さんの受診は、その患者さんと医師である自分の貴重な縁であり、その縁をよきものにできるか否かには、自分の医師としての経験・知識・技量をうんぬんするまえに、目に見えない何かがかかわっていると感じるようになったのです。
 
 毎日のように通院して、体調が安定していたにも関わらず、週末に学会でたった1日私が不在の時に急変してしまう患者さん、そうかといえば、まったく通院していなかった患者さんの急変の現場に偶然居合わせたことで、その方は危機を脱し、今は元気に通院しています。

 これはほんの一部の例ですが、このように、まったく予想もつかないタイミングで、まさに人知の及びもつかないところで、患者さんたちの運命が決まっていくのです。

 ここから、私の祈りがはじまりました。

 患者さん方との縁がよきものでありますように、そして、患者さん方が私やスタッフに寄せてくれる信頼を糧に、その信頼にこたえる医療を提供することができるように、日々謙虚に研鑽・修養を重ね、そして見えない何かに祈る日々を送っています。

 今、述べたようなことは、おそらく医業の経験の浅い若い医師たちには笑われてしまうことでしょうが、長年医療に携わっている医師には、少し理解してもらえるのではないかと思います。

 人間は、誰も永遠に生きることはできません。
 
 その人生が長く続いても100歳まで生きる方は稀です。
 
 病を得て先に逝ってしまった方たちも、私達医師も、同じ人間として生命を全うして、そしてその方たちは先に逝ってしまったにすぎないのです。

 その現場に立ち会うひとりの人間として、生命の最後の日々に、真実の言葉で(否、言葉がなくとも)理解しあい、その最後の貴重な時間を真に共有することができるとき、残される私たちの心も豊かな確かなもので満たされます。

 まさに先に逝く人たちに学ぶのです。

 今回の研修は、今までの漠然とした想いを明確なものにしてくれました。

 同じく研修された先生方も、きっと貴重なものを心に蓄えられたことと思います。

2009年09月05日 10:42


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